2009年02月03日

08年7月〜10月コラム

『おうちご飯の大切さ』 文・きたのみちよ  
『究極の家庭料理、その名はかぼちゃプリン』 文・ふっきー  
『目の前の"大切にしたい気持ち"』 文・せいこタロ


『おうちご飯の大切さ』 文・きたのみちよ 

 「衣・食・住」は、生活していく上で必要なものであり、
どれをとっても生きていけないものだと言われています。
中でも、「食」は毎日毎日必要なものなのでとりわけ大きな部分を占めています。
食卓を預かる多くの人たちは必ず「何食べたい?」「次のおかず何にしよう?」
と悩むことも多いのではないでしょうか。
「何も食べずに済んだらいいのに・・・」とまではいかなくても
「錠剤一個で済んだらええのに・・・」と考える人も少なくないかもしれません。
でも、それでは楽しみが減ってしまいます。それに近い食品もありますが、
「食」の楽しみがなくなったらなんと味気ないことでしょう。

 そういえば最近は、冷凍保存技術が飛躍的に進歩してきたそうです。
たまたまテレビで見た、"CAS冷凍"という特別な冷凍保存が出来る冷蔵庫があり、
通常の冷凍保存では解凍すれば水っぽくて鮮度も落ち、旨味が逃げてしまうのが、
このCAS冷凍で保存した食品はたとえ3年前に水揚げされた魚でも、
某有名料理人にも見分けがつかないほど新鮮な魚として蘇ったのでした。
また、某有名ソムリエに、2年前にCAS冷凍保存し解凍したチーズと
ワインを試食していただいたところ「保存が良いチーズ。ワインも高級な香りがする。
黙って出されたら全然分かりません。」という反応だったのです。

これが普及すると、今までは傷むと困るからとお持ち帰りができなかった料理も、
家庭で食べられるようになります。更に、現地でなければ食べられなかった
活きが命の食材を、わざわざ出向いて行かなくとも食べられるという、
夢のようなことも可能になります。
すごい!とは思いますが、果たして、これが庶民に普及するのは
どれくらい先のことだろう?便利だけど安全なんだろうか?

「中国での冷凍餃子事件」以来、食の安全ということが頭の片隅にあって、
その一方で、最近では家庭菜園が流行し、収穫したものをすぐ食卓へ、
というのも定着してきています。キュウリやトマト、ネギなど
コンテナでも比較的簡単にできるものからはじめている人が多い
ようです。
少しくらい面倒でも、安全な「食」が求められているということでしょうかね。

 昔は、レストランで外食することが贅沢でしたが、家庭で食べる
おうちごはんが今ではいちばんの贅沢だと思えてきました。
たまには、目新しいものを食べてみたいと思いますが、経済的にも
健康面からも毎日食べられるというものではないので、つくづくおうちご飯の大切さを感じている今日この頃です。



『究極の家庭料理、その名はかぼちゃプリン』 文・ふっきー 

 子どもが2歳半になった。そしてこの2年半、僕は焼き肉を食べてない。
子どもが手を出して危ないからという理由で、家でも外でも食べてない。
外食に行くことはあるけど、「迷惑かけてもお互い様やんなあ」っぽい、
まわるお寿司か有名なチェーン店。それでも、料理の素材の産地が
どこなのか気になったり、「家で作っていたら○○円ですんだかな」
と考えたりするから、いつもセコーイ感じの外食になる。

家で作っても「安全」「栄養」「薄味」なんてシバリがあると、
これは何時代の食べ物?みたいなメニューになる。
大人の食事はその味付けを濃くしただけ。つまり、子どもが生まれると、
健康的で、安全だけど、(大人は)ハッピーな感じがしない
食事が多くなってしまうのだ。

 そこで、子どもに与えても気が引けず、大人もうれしいメニューを探した。
その結論が、かぼちゃプリン。プリンは材料がシンプルだし、
かぼちゃはヘルシーだし、甘さも調整できる。
炊飯ジャーで作ることを覚えてからは失敗も少なくなった。
こだわろうとするとどこまでもこだわれるが、いいかげんにしても
そこそこ美味しいものがちゃんとできる。
そしてなにより、ご飯4合分のでっかいプリンが家の冷蔵庫の中にあると、
とっても幸せな気持ちになる。かぼちゃの黄色がジャーの模様の
形に焼けているのも、「これを買ったらいくらするだろう?」と
想像して楽しむのも、いとをかし。
子どもが喜んで2割を食べ、僕が喜んで残りを食べる。
この成功に味を占めて炊飯ジャーで作る「偽チーズケーキ」や、
「巨大さつまいもプリン」などセレブなデザートライフが続いた。
そして、体重が5s増えて、カロリー押さえても量をたらふく
食ったらいっしょだと気づき、セレブライフは3ヶ月で終わった。

でも、小さな子どもがいても、大人も幸せな気分になる食事は大切だと思う。



『目の前の"大切にしたい気持ち"』  文・せいこタロ 

 私が社会人になってから、必死のパッチで頑張る姿を、
いつも気にかけて応援してくれるおじさんがいた。
そのおじさんは、30歳の時から難病を患い入退院を繰り返し
ながらも今も誰よりも働いている。と私は思う。
そのおじさんの苦境から得た心の強さは本物で、彼は私の心の師匠だ。
ある日の昼休み、そのおじさんに呼ばれて行ってみると、手には大きなビニール袋。
「これ食べてみ。今朝うちの畑で摘んできたんや。食べ方わかるか?」とまぶしい笑顔。
覗いてみると、"きぬさや"ぎっしりと詰まっていた。
「えぇ?!こ、こんなにたくさん?」
だってホントの本当にたっくさん入っていたから。

 実はおじさんは手の骨が変形して手がしびれる病気も患っていた。
そんな手の痛みを感じながらも、きぬさや一莢一莢を根気よく摘んでくださったと
思うと、このどれ一つも粗末に扱っちゃいけない、多少の虫食いなんて!
ひとつ残らずおいしく頂かなきゃと思わずにはいられなかった。
 
 今主婦になってスーパーできぬさやを見ると、そんなある日を思い出す。
そしてふと思うことがある。

手渡しされる野菜にはあんなにありがたみを感じられたのに、スーパーに
ずらりと並ぶ野菜にそんな気持ちを感じたことがあったかなぁ…
実際、一部は機械化されているとはいえ、ほとんどは農業社会の
中核を担うおじいさんおばあさんが1つ1つ育てて、収穫して、
袋詰めしているというのに。

地産地消、自給自足、スローフード・・・

みんながぼんやりとあこがれていることが、あぁそういうことなんだ、
と何だか納得する自分がいる。

きっとそこには、"大切にしたい気持ち"を取り戻そうとする
私たちがいるんだと。


posted by お宝屋 at 18:20| Comment(0) | TrackBack(0) | おにぎりコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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