2009年07月22日

09年7月コラム

「食べさせて頂く」 文/酒々井俊明

「食」という字の意味を掘り下げると“器にいれ手を加えて柔らかくする”
ということになるらしい。
つまり起源において「食」は「栽培・収穫(採取)」に通じ、
意味は「調理」を表している。
その反面、現在はただ「食べる=摂取」としての意味で用いられる事が
多いように感じる。

この変遷に何か現代の「食」と生活様式の変遷の姿を見た様な気がした。

まだ、農耕文明が栄える前の狩猟生活を送っていた人間にとっては
「収穫」そのものが「食」に直結していた。
採れなければ食べられない、食べる事は結果であって、重視されるのは
“採取して器に積み上げていき保存する”と言う事であった。

農耕文明になってからは採取と言う形ではなく、自分の手で収穫を作り上げる事が
できるようになり、一年を通したスパンが生まれた。

「食べる」に直結していた日々の活動から、将来の収穫を見越した生活となり、
追われるような毎日の食糧確保から乖離する。

食文化も発達していき収穫を喜ぶ為、今までの苦労を労う為、
ハレの日の食事や酒などを「食」する。

だが、現在においては食べるものが溢れている、それも供給過多なほどに。

さらにはコンビニやファミレスでいつでも調理された物を食べる事ができ、
調理する手間の必要すらなくなってきている。

食糧を見つける苦労、収穫までの苦労、調理の手間。そんな過程を経ない
食事は味気なく、ただただお腹を満たすだけになる。
そんな現状では「食」の意味が食糧摂取のニュアンスのみでしか
認識されないのもわかる気がする。

私自身もこの漢字に、そこまでの意味がある事は知らなかった。

最近、農業の勉強を始め、自分の手で収穫できるようになって、
キュウリやレタスにモロヘイヤ、その他諸々の野菜を収穫し食べている。
親のひいき目がなければ、その辺で売っている野菜とおいしさは
変わらないかもしれない。
ただ、自分で作ったからひいきをする権利がある。
だから、おいしく感じる。

…これは、幸福な事だと思う。

食べられて当たり前、食べる為の本当の苦労を知らない環境で生きていたら
気づけない喜びがそこにあり、とてもじゃないが捨てられない。

このまま「食」と言う漢字が「摂取」のみの意味で使われ続けたら、
日本は生ゴミで埋まってしまう。
人間の思考は文字で処理されている。
ならば意外と「食」という漢字の意味の復活こそ、食育の一歩なのかもしれない。

「食」という漢字の意味は「食べさせて頂く」ということを、
これからは推していきたいと思います。 

posted by お宝屋 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | おにぎりコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。