2009年08月12日

09年8月コラム

「おはなしや」はじめました  文/おはなしや照美

私の実家は書店です。
将来、夫婦で実家の書店を継ぎたいと考えていたところ、出会ったのが
NICOさんの“カフェ起業講座”でした。
「カフェと本屋でジャンルは違うけど参加させてください!」と
お願いしたところ、快く受け入れてくれました。
どうもありがとう。

講座の中で問われたことは、自分たちが将来書店を経営するとき、
「何がしたいのか」ということ。
その時の私たちはうまく答えられませんでした。日々の業務に追われて、
自分たちにできること、したいことが見えなくなっていたんだと思います。

講座終了後も、“にっこりーズクラブ”という形でみんなで集まって
わいわいごはんを食べる場ができ、これが私にとってはとても新鮮で楽しい時間でした。
みんな食いしん坊で本当においしそうにごはんを食べます。
私もその中でごはんを食べるうちに、いつしか「いまの自分にできることをして、
楽しんだらいいんだな」と思えるようになったのです。

年が明けると、さのちゃんが「さのちゃんのパン屋さん」を始めたり、
でみやんが朝市で「はちみつクレープ屋さん」を始めているのを聞いて、
今の私ができることは何かなあと考えてみました。

「そうだ!絵本の朗読をしたらどうかな?ただ朗読するだけじゃなくて、
夫にピアノを弾いてもらったら楽しいかも」

ちょうどその時、仲良しのお客さんから「葉っぱのフレディ」という
絵本を薦められました。
そこには、“いのち”の循環がやさしい言葉で描かれていました。
物語は、この春生まれたフレディと親友のダニエルを中心にすすんでいきます。
フレディとダニエルはお互いに育てあいながら成長し、楽しい夏を過ごします。
やがて秋を迎え、フレディの体は鮮やかに紅葉する一方、心では
もうすぐ来る冬に自分が死ぬということを自覚します。
それはフレディにとって、受け入れがたいことでした。
仲間が一枚ずつ枝を離れていく中で、フレディははじめて、
自分が生まれてきた意味を考え始めます。


私もフレディと一緒に、自分が生まれてきた意味を考えてみました。
まだ答えはみつかっていないけれど、案外家族や友だちと食べるごはんや、
道端に咲く花、木の中から聞こえてくるセミの声なんかにヒントが
あるのかもしれませんね。

朗読とピアノの「おはなしや」ライブ。
いつかNICOさんのあったかいごはんを食べながら、みんなに聞いてもらえるよう、
いっぱい練習しようと思います。


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2009年07月22日

09年7月コラム

「食べさせて頂く」 文/酒々井俊明

「食」という字の意味を掘り下げると“器にいれ手を加えて柔らかくする”
ということになるらしい。
つまり起源において「食」は「栽培・収穫(採取)」に通じ、
意味は「調理」を表している。
その反面、現在はただ「食べる=摂取」としての意味で用いられる事が
多いように感じる。

この変遷に何か現代の「食」と生活様式の変遷の姿を見た様な気がした。

まだ、農耕文明が栄える前の狩猟生活を送っていた人間にとっては
「収穫」そのものが「食」に直結していた。
採れなければ食べられない、食べる事は結果であって、重視されるのは
“採取して器に積み上げていき保存する”と言う事であった。

農耕文明になってからは採取と言う形ではなく、自分の手で収穫を作り上げる事が
できるようになり、一年を通したスパンが生まれた。

「食べる」に直結していた日々の活動から、将来の収穫を見越した生活となり、
追われるような毎日の食糧確保から乖離する。

食文化も発達していき収穫を喜ぶ為、今までの苦労を労う為、
ハレの日の食事や酒などを「食」する。

だが、現在においては食べるものが溢れている、それも供給過多なほどに。

さらにはコンビニやファミレスでいつでも調理された物を食べる事ができ、
調理する手間の必要すらなくなってきている。

食糧を見つける苦労、収穫までの苦労、調理の手間。そんな過程を経ない
食事は味気なく、ただただお腹を満たすだけになる。
そんな現状では「食」の意味が食糧摂取のニュアンスのみでしか
認識されないのもわかる気がする。

私自身もこの漢字に、そこまでの意味がある事は知らなかった。

最近、農業の勉強を始め、自分の手で収穫できるようになって、
キュウリやレタスにモロヘイヤ、その他諸々の野菜を収穫し食べている。
親のひいき目がなければ、その辺で売っている野菜とおいしさは
変わらないかもしれない。
ただ、自分で作ったからひいきをする権利がある。
だから、おいしく感じる。

…これは、幸福な事だと思う。

食べられて当たり前、食べる為の本当の苦労を知らない環境で生きていたら
気づけない喜びがそこにあり、とてもじゃないが捨てられない。

このまま「食」と言う漢字が「摂取」のみの意味で使われ続けたら、
日本は生ゴミで埋まってしまう。
人間の思考は文字で処理されている。
ならば意外と「食」という漢字の意味の復活こそ、食育の一歩なのかもしれない。

「食」という漢字の意味は「食べさせて頂く」ということを、
これからは推していきたいと思います。 

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2009年06月18日

09年6月コラム

「非常事態をのりきる日常的‘食’の安心」
byさたやん

どうも料理が苦手です。
食への執着が「はよ食べたい!」という思いに走ってしまい、
台所に向かったところで「手間ひまかけて〜美味しくな〜れ♪」
という方に行動が向かわないのです。
根っからの面倒くさがりなことも災いしているのでしょう。

しかし、店や朝市に並ぶ「食材」たちにはつい心をときめかせてしまい、
やめときゃいいのに、芝樂市で採りたて野菜たちを物色しては
一人で料理できるはずもない食材をついつい買い求めてしまうのです。

そうして私に取り込まれた悲しき食材たちは、ゆでた炒めた焼かれた程度に
調理(「料理」とはよう言わん)されてしまいます。

…それでも、なんとか口まで運ばれれば良い方で、結局調理もできずに
ダメにした食材は数知れません。
それが生鮮品だけならまだしも、保存性のある米にまでムシがわいてたときには、
さすがにもったいないオバケ(若い人は知らんかな?)に「ごめんなさい」と
手をあわせました(なので、最近では米は少量買い、冷蔵庫保存にしています)。


ところで、箕面で新型インフルエンザの発症が確認されたことにより、
5月18日から一週間のあいだ、市内の教育機関や福祉施設などが
軒なみ閉鎖となりました。
新型インフルについては、今回の発症以前にも新聞などで情報を見聞きしており、
例えば外出を控えることに備えた1〜2週間分の食料備蓄についても、
知るところではありました。

しかし、実際に一部とはいえ一週間も都市機能がストップする状態を見ていると、
私のような面倒くさがり人間は、備蓄したところでほんまにちゃんと食べて
生きていけるんか?と、それまでは漠然とした情報がリアルな不安として
感じるようになりました。
それでも今はまだ何とか出来るだろうけど、年老いてからはどうなのか?
「苦手」とか言っているうちはともかく、体が動かなくなって「不可能」
になったら?と心配はつきません。


---北芝では今回の状況に伴い、地域高齢者宅を訪問し、健康状態や生活状況を
聞きとりを行いました。
とりわけ「食」については、いつもは会食をしているまちデイ「よってんか」が、
必要な方に対して食事を自宅まで届けました。

いつもの北芝の「食」の営みが、非常事態のライフラインとしても
発揮されたわけです。


こんな取り組みを聴くと、私のような人間でも大丈夫かな〜と、ついつい
安心してしまいますが、だからといってもったいないオバケが許してくれる
わけではないので、私の食生活については引き続き改善を要するところです。

さあ改善の第一歩は・・・とりあえず、効果的な食料の保存方法をご存知の方、
さたやんまでご一報くださ〜い。(あれ?)


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2009年05月22日

09年5月コラム

「黄砂に吹かれて〜女の焼肉道 〜」 文/みっふぃ

桜の季節ですね。さくらキレイです。
らいとぴあやけんぱ道の桜を思い出します。
ソウルにも勿論桜は咲きます。
つつじの薄紫や、れんぎょうの黄色と共に春を彩る桃色。
ソウルで花見もええもんですよ。

お花見もいいけどこの時期気になるのは黄砂です。
こちらでは花粉症はあまり聞きませんが、大陸から風に
のってやってくる黄砂、こいつが厄介です。

「黄砂に喉がやられたらサムギョプサルがいい」と言います。
サムギョプサルは豚のバラ肉の焼肉のことです。

何故かはしりません。

鉄板の上に、豚バラの塊を広げて焼きます。
まずは片面にうすくこげ色がつくまで。
豚はかりっとするくらいまで焼くのが美味しいです。
ひっくり返したくなるのを我慢。
お肉をしょっちゅうひっくり返すのは、あまりスマートではありません。

裏返すのは一度だけ。

香ばしく焼けたら、はさみを入れて大胆に切り分けましょう。
こういうのが得意な男の子がいます。
しゅっしゅっと切って、小皿にとって「焼けたよ、どうぞ」と
優しくされると一瞬くらっとしますがそれはまた別の問題。

気になる人の前で手際よくサムギョプを焼くと、ちょっとした
ポイント稼ぎになるかもしれません。

ならなかったらゴメンなさい。

サムギョプサルは塩とごま油で食べるのが一番です。
しょうゆベースのさっぱりしたソースも出てきますがわたしは断然、
塩ごま油派ですね。
そして鉄板の上にキムチを一緒に置きます。
焼きキムチ、これがまた旨いのです。
豚から出る油とちょっと発酵しすぎたくらいのキムチが合体すると、
酸っぱさが科学反応を起こすのか辛みが消えてふしぎな旨さが残ります。

サムギョプサルには焼きキムチ、これですよ。

あかんわ、酒がすすみます。

焼肉にはビールですか?せっかくならソジュをいただきましょう。
あの、緑色の瓶に入った甘くってキツいやつですよ。
韓国では酒飲み指数をソジュの本数で測ります。
1本だと普通。2,3本ならなかなか強い。4,5本になると酒豪と呼ばれます。
蓋を開ける前に上手にびんを振ると、液体が中で渦巻いて竜巻が起こります。
これがかっこよくできるとかなりの剛の者です。

ごまの葉やサンチュなどの葉っぱで巻くのはお馴染みですね。
白ご飯とテンジャンチゲ、〆に冷麺を注文すれば
あなたもサムギョプ・マスター。

サムギョプの仲間には皮つきのオギョプサルもいて、
こちらは更にモチモチした食感が楽しめます。


ところで何故、黄砂にサムギョプがいいんでしょうね。


肉焼いて酒でも飲もうぜ、といういつもの誘いの弁明ちゃうんか
という気が、しないわけでもないのですが。


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みっふぃ…
韓国にて伝統芸能を学ぶ、元ヨロカヂ代表お色気姉さま。
原稿は4月初旬、桜満開の頃に執筆されました。

姉たまについてもっと知りたい方は→http://fureai.blog19.fc2.com/


posted by お宝屋 at 11:20| Comment(2) | TrackBack(0) | おにぎりコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

09年4月コラム

「幸せな地獄」 文・丸岡ともき

沖縄に住んでた6年間のライフスタイルはえげつないもんやった。
不規則極めてたね。
毎日のご飯も、朝は菓子パン、昼はカップラーメン、
夜はコンビニ弁当・・・ずーっとこんな感じ。
そら、夏場に踊るエイサーがしんどいこと。
体調は悪くないねんけど体が重い。自分が動かしたいように動かない。
それでも無理に踊り、飛び跳ねる。何回も倒れそうになったし、
よく怪我もしたね。
・・・それでも食生活が影響してるなんて思わへんかった。
だって踊れてたし、あの頃は無理するんは当たり前やったし
みんな無理してたから。自分だけじゃないって思ってた。
今思い返せばよくできたなぁと思うわ。若くてよかった〜!

たまに友達の家でご飯食べさせてもらうこともあったで。
けど・・・野菜が多いねん。
ゴーヤーにナーベラ(ヘチマのこと)はいつもある。
(野菜は嫌いじゃないけど苦手やねん)
それだけちゃうで。チャンプルー(炒め物)料理、てびち(豚のおてて)
中味汁(豚の内臓)ヒージャー(ヤギ)料理etc・・
とにかく料理の数と量がハンパないねん。
いっぱい食べなさいよ。って言ってくれるからめっちゃ食べてると、
うちなんちゅ得意の「かめぇかめぇ攻撃」が開始されんねん。
どんどんおかわりが出てくる。
イヤイヤ、もーいらんて、そんな食べられへんから・・・
とは言えるはずもなく食べる。いや、食べさせられる(笑)

めっちゃ食べて苦しくて地獄みたいやったけど、みんなで話して
笑いながら食べれて幸せやった。
ホンマに幸せな地獄。

バランスのとれた食事も大事やけど、やっぱりみんなで笑いながら、
話しながら食べることも同じぐらい大事なことやと思った。


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2009年03月19日

09年3月コラム

「さのちゃんのぱんやさん」の原点 文・さのちゃん

「さのちゃんのぱんやさん」をスタートして、はや2ヶ月。
スタート前の準備で最後まで迷ったのは、じつは店の名前。

以前から芝楽市で、「さのちゃんのワッフル」と名づけたワッフルを
販売したりしていて、その流れから、店の名前に「さのちゃん」を入れたほうが良い、
と思ってはいました。

ただ、電話出る時、「もしもし、さのちゃんのぱんやさんです!」
って出るんは恥ずかしいな〜、とか、宣伝する時、自分の名前をそこまで
全面に出すのもいかがなものかな〜、とか色々考えて、「日だまりパン屋」という、
無難な名前も用意していたのです。

そんなときもらった、決め手になった一言。

「『さのちゃんのぱんやさん』って、絵本に出てくるみたいな感じで、
良いと思うんやけど。」


絵本、って聞いて、自分のパンや食べ物に対する思いの原点を
思い出した気がしたのです。

子供のころ、大好きだった絵本のタイトルの一部を挙げると、


「からすのパンやさん」

「だいふくもち」

「おおきなおおきなおいも」

「はらぺこあおむし」

「ぼくのぱん わたしのぱん」

「たべられる きのみ」・・・。


みごとに食べ物の本ばっかり。

ちょっと大きくなって、字の多い本を読むようになっても、食べ物への
執着は相変わらず。

「エルマーのぼうけん」という本では、冒険そのものより、非常食として
持っていく「ももいろのぼうつきキャンデー」の味のほうが気になって仕方がない。

「ロッタちゃんのひっこし」という翻訳物の童話では、「ポークチョップ」
という未知なる食べ物の姿をあれこれ想像しては楽しんでいました。


こんな「さのちゃんのぱんやさん」の原点となった絵本たち。

営業時に展示しますので、手にとってぜひ読んでみてくださいね。


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2009年02月20日

09年2月コラム

『食パワー』  文・さえ 

「えぇーっと、原稿がこれ。で、写真はてきとうにこの中から選んで使って。
だいたい来週末ぐらいに入稿で、えぇ〜っと、まぁ、そんな感じで・・・よろしく」
 
 ここ北芝を拠点とするグラフィックデザイナー(主に印刷物のデザインをします)の、
地域内から頂くお仕事の打ち合わせはだいたいこんな感じ。
「基本おまかせやけど私のきもちとこのなんとなーくのテイストは汲み取ってちょ」
みたいな、独特なゆるさとそのくせスケジュールは超タイト!!のセットで
ビジネスが成り立つ(?)私たち。
 
 冒頭の台詞はNPO法人暮らしづくりネットワーク北芝(うちの事務所の大家さん)より、
職員のSヤン。この時は、前年度北芝で行った取り組みや、暮らしづくりが企画した
イベントの報告などをまとめた冊子のデザインを依頼されました。
いつもどおり駆け足で作業にとりかかり、てきとーに選べと言われた
過去の取り組みの写真を見ていると・・・

食べてる、飲んでる、食べてる!食べてるー!

ちょっと硬い雰囲気の学習会の写真でも、よく見ると膝の上にはお皿。

・・・食べてたナ。

「北芝の取り組みを報告するのに「食」は欠かせないキーワードであ
る!」
前々から耳にしてたことやけど、つくづく欠かせんなぁーと思い知らされました。
そんな写真から伝わる食のパワーに胃と脳を刺激され
「この写真たちをいろんな人に見せたい!」と、おなかをグーグーいわしながら
「食べてるポスター」を作りました。それを見た北芝の人はみんな
「おぉ〜けっこうみんな食べてるもんやなぁ・・・」
と、改めて食べてることに気づいたようです。
「食べてるわぁ〜」とつくづく思った私は、それですっきりしたと同時に、
いつまでも食欲旺盛な北芝であってほしいと願ったのでした。


ピクチャ 3.jpg
posted by お宝屋 at 17:04| Comment(0) | TrackBack(0) | おにぎりコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月03日

08年11月〜09年1月コラム

『モンゴロイド的 食のすすめ』 文・廣川 洋介  
『いやしんぼう、海を渡る』 〜タイ編〜 文・NICOちえ
『子育て生活の効能』  文・ぷう

・・・つづきを読む
posted by お宝屋 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | おにぎりコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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